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2018/02/14

チャレンジについて考える

チャレンジについて考える

チャレンジについて考える

 

イップスという言葉を端的に説明するのは難しく、

そうこうしている間に言葉が独り歩きして 「不調時の便利な言い訳」 になってしまってきているのを何とかしなければならないと思っていました。

 

今の段階で、一言で言えば 「チャレンジすることができない状態」 ということでしょうか。

 

ここに戻ってくるにはかなり時間がかかるかもしれませんが、イップスやストレス軽減についてかなり関わりの深い部分なので、そもそも「チャレンジ」とは一体何なのかというところから考えてみようと思います。

 

 

 

 

 

平昌オリンピックスキージャンプ女子ノーマルヒルで、高梨沙羅選手が銅メダルを獲得しました。

 

 

ソチオリンピックでまさかの失速を経験したことを踏まえて、その後のインタビューで「オリンピックは、『チャレンジ』が試される場だということを感じている」という意味のことを語っていました。

 

まずは、この『チャレンジ』というものが、我々日本人にとって特にハードルの高いものだということに触れなければなりません。

 

 

先日、ある登山家が遭難しレスキュー隊に助けられたというニュースが世界中に配信されました。

 

【パキスタン北部にある世界最高峰クラスの高山、ナンガパルバット(Nanga Parbat、標高8125メートル)で28日、困難を伴う高峰での遭難者救出活動にベテラン登山家らが参加し、遭難した登山家2人のうち1人を救助したが、もう1人の不明者捜索は打ち切られた。】

という内容でした。

救出活動は夜間で、困難をきわめたといいます。

 


そんな中、救出されたレボルさんは、「またチャレンジしたい」ということを語ったということが記事に載せられていましたが、

 
その記事に対する、反応はこんなものでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
良い、悪い、は別にして
日本ではこのような反応は珍しくありません。

 

しかし、欧米ではまったく違うということを我々は認識しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、予備知識として登山というものはどれほどのリスクに対してのチャレンジングな試みなのかというところから考察してみたいと思います。

 

一般的な統計によると、7000メートル以上の登山の死亡確率は4.3%。

今回の場合のナンガパルバットは、

危険な山ランキングの、

 「第2位」になっていました。

 
これはどれほどのものなのかという評価は難しいのですが、もう一つの側面についても考えてみないといけないことがわかりました。
 
それは、たとえば、
 
日本の谷川岳での死者数です。
 
これは、明らかに「チャレンジの難しさ」ではなく、ただの「準備不足」です。もし批判されるべき登山者がいるとすればこのような準備不足の登山者です。
 
ナンガパルバットへのアタックは谷川岳とはだいぶ異なる事例であり、成功していれば「歴史的偉業」として讃えられるほどのチャレンジです。プロ中のプロが万全の準備の中でチャレンジする登山であることがわかります。それでも失敗する事はある。
 
それは、救出隊がどのように組まれたかの経緯を知ればなおさらわかる事です。
 
 

【救助活動には高峰の雪山で捜索を行うためベテラン登山家4人が参加。4人は世界第2位の高峰K2(ケーツー、標高8611メートル)のベースキャンプからナンガパルバットまでパキスタン軍機で移送されていた。

 パキスタン山岳会(Alpine Club of Pakistan)の広報担当、カラル・ハイデリ(Karar Haideri)氏は28日、「K2の冬季登頂という歴史的偉業を中止して1人の命を救った登山家たちがまもなくエリザベート・レボルさんとともに下山する」との声明を発表した。(c)AFP】

とあります。
つまり救出隊はK2の冬季登頂を準備していたベテラン登山家たちだったのです。
 
その彼らが冬季登頂をしようとしていたのが、
死亡確率「第3位」の K2です。

 

コレもなんとまあ危険な山です⛰
 
つまり『チャレンジャー仲間』なのです。
もし、レボルさんが再チャレンジするときには間違いなく賞賛し応援してくれる人たちなのです。
一般的にも欧米ではこのようなチャレンジをするというメンタリティを賞賛しリスペクトする傾向があります。
  それについてはまた次回。
 
 
※おまけ
 
ちなみに死亡確率第1位は、
 
 
「アンナプルナ」
 

 
 
 
相当な決意を持って臨むアタックであることがわかります。挑戦者魂をかきたてる何かがあるのでしょう。
 

最高峰の「エベレスト」はというとランク外でした。
 
 

 

挑戦者の分母が大きいので、死亡者は多いのですが、死亡確率は低いです。カラフルな衣装の登山者たちの大量な遺体が転がっている場所は「虹の谷」と呼ばれているそうです。
 
難しい山は準備が整った選ばれた挑戦者しか挑んでいないのです。登山家は決して無謀なチャレンジをしているのではないのですね。
 
 
   登山家の遭難を例に、チャレンジに対する考察をしてきました。
 
 
ではなぜ日本人がチャレンジの失敗に対する評価がこれほどまでも手厳しいのでしょうか?
 
 
  平昌オリンピックでの、葛西紀明選手の発言の記事に対するコメントも辛辣なものが目立ちました。

 
 
成功すれば「歴史的偉業」
失敗すれば「自己責任」
「他人に迷惑をかけない」
「失敗するなら最初からすべきではない」
 
このような思考傾向を持つ日本人は多いといわれています。
 
これには日本人の持つ遺伝子の傾向がかかわっているという説があります。
セロトニントランスポーター遺伝子という、セロトニンの量を左右する遺伝子の影響があるというものです。
この遺伝子が生まれつき長い「L型」と短い「S型」とがあって、日本人はS型の割合が諸外国と比べてかなり高いというものです。(80%以上がS型という統計もあります)
この遺伝子が短いとセロトニンを再合成する能力が低くなり、セロトニンの量が少なくなるというものです。
 
セロトニンという神経伝達物質は、安心感の源となっている物質で、不足すると不安を感じやすくなり、鬱の症状が出たりします。
これにより、物事を悲観的にとらえたり、楽観的な見通しの人を責めたりする傾向が出てきます。
見通しの甘い失敗を責めたり、チャレンジを褒めることをしにくいメンタリティにつながります。
 
日本人に悲観的な人、心配性の人が多い科学的根拠とされているところです。
なぜこうなってしまったのかは諸説あるところですが、大昔から天変地異が多く、とりわけプレートの近い島国であることによる地震、火山活動、津波などに度々襲われていることなどによって、より用心深いDNAが生き残ったいう説があります。(楽観的なDNAは淘汰されたということなのでしょうか)
この説は遺伝子の研究が人種別に行われた時に、東アジア人でひとくくりとされずに、中国人や韓国人よりも日本人のS型が多かったということから地理的な理由もあるのではないかと推測されたことから導き出されたものなのではないかと思います。
 
 
 
この傾向は日本人の観客の振る舞いにも関連する要素です。
(このような観客の反応に自分を見失い、動揺してしまうとイップスになってしまうこともありますので注意が必要です。)
 
 
セロトニンは、未来に対して前向きに考えてチャレンジをしていくメンタリティには絶対に不可欠な物質です。
ここをどうやってリカバリーしていくかが課題なのですが…これについてはまた次回以降に考察しようと思います。
 
 
 
  フィギュアスケート男子の羽生結弦選手、スピードスケート女子500メートルの小平奈緒選が圧巻の強さを見せて金メダル🥇を獲得しました。
 
 

 
不安が高まりやすい遺伝子を持つ 世界有数の心配性の人種であるはずの彼らが何故このような強さをしめすことかできたのでしょうか?
 
そのヒントを羽生結弦選手の言葉からくみ取ることができます。
 
 

メダル獲得後のインタビュー取材に、好きな言葉だという、
「弱さは強さ」
の意味を問われ、
「弱さと強さも表裏一体と思っていて、弱さをちゃんと見つめて転換させられれば、それは強さになる」と語りました。
 
そこは、逆境であるほど克服しようとするアドレナリンを感じるという、羽生結弦選手一流の成功法則なのですが、ここに心配性という「弱さ」を持つ日本人が活躍するための大きなヒントがあります。
 
 
サッカーの欧州リーグ、野球のメジャーリーグ(MLB)においても、日本人選手が移籍するとまず驚かれるのが練習量の多さだといいます。
 
不安になりやすく、心配性であるが故に、不安を解消するために妥協を許さない激しい練習と準備をもって臨むということです。
そこではじめて自信を持つことができるということになります。
 

日本人メダリストの鉄板の共通項は、想像を絶する異次元の練習量です。

どれほど努力家だったかというエピソードに事欠かないわけですが、

これは日本人に深く根付く、「一番稽古したものが勝つ」という価値観に矛盾しないものです。
 ただ、注意しなければならないのがオーバーワークによるゲガのリスクです。
それには、優秀なコーチの存在が絶対条件になると思います。