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2021/04/16
松山英樹選手 マスターズ優勝の凄さに思うこと
松山英樹選手がマスターズで優勝しました。
松山英樹選手、おめでとうございます㊗️
世界の4大メジャートーナメントであるマスターズは特に、同じ場所で毎年開催されるという歴史の積み重ねを感じられる大会で、日本人のどの世代のプロゴルファーにとっても憧れの舞台であり夢を重ねていることでしょう。
その特別な舞台での優勝はまさに快挙です。
それも決してまぐれではなく、メジャーを制覇しゴルフという競技の頂点に立つ意識と準備がこれほど整っていた日本人選手はこれまでいませんでした。
(※ここからは私のスポーツに対する偏った考え方に受け取られる可能性がありますが、気分を害された方がおられましたら前もってお詫び致します。特定のスポーツの形式を批判するものでは決してございません。)
先日、「平成の三四郎」として知られる古賀稔彦さんがお亡くなりになりました。
柔道を学校の授業以外やった事ないし特に興味もない私が、古賀稔彦さんの試合で忘れられないほど魂を揺さぶられた事があります。
それは、1990年に行われた全日本柔道選手権大会の、小川直也さんと古賀稔彦さんの決勝戦です。
全日本柔道選手権は、昔ながらの講道館柔道方式の体重無差別で行われていました。
決勝は一本負けしたものの、巨漢を次々なぎ倒して決勝に進み、当時世界最強と言われた193センチ130キロの小川直也選手に、169センチ75キロで挑む古賀稔彦選手の善戦は圧巻でした。
形式を否定するつもりは毛頭ないのですが、思ってしまったのはオリンピックなどでの体重別や種目別ごとにメダルがある競技にはない、『本物を見た』という率直な感想です。
体重別や種目別の意義についての見識をお持ちの方にとっては不謹慎に思われることもああることは承知しております。
ただ、
例えばマイケル・フェルプスのようになってしまっては、ある種目においての頂点としての価値は薄まってしまい、金メダル一つを獲る価値は種目全体の王者の価値と捉えられません。
ここにどうしても違和感があるのです。
ゴルフがオリンピックの種目として採用される前までは、マスターズの優勝はゴルフの金メダルみたいなものかなぁとか思っていました。
ゴルフは無差別級で、
優勝者はたった一人のみ。
本当に凄いと思います。
あらためて快挙を達成された、松山英樹選手 おめでとうございます。
(※私個人の感想によりご気分を害された方がいらっしゃいましたらあらためてお詫び申し上げます)
2021/03/04
けん玉と『アフォーダンス』(※多分正確なアフォーダンスという言葉の使い方ではありません)
※アフォーダンスとは環境が与える「意味」のこと
確か2016年頃だったといますが、ある野球の投手のイップス改善のアドバイスを求められた事があります。
専門外なので軽く参考程度にして下さいという前置きで実際のスローイングを見させていただきました。
その投手は、明らかに腕のテイクバックに力感があり、それによってボールを握る圧力が高すぎるように見えました。
オーバースローなので、テイクバックでボールは頭よりも高く上がるわけですが、肘を後ろに引っ張り上げるような動きの延長線上にテイクバックされていました。
おそらく『もっと力を抜いて』『もっとリラックス』系のアドバイスはいやになるほど散々されてきていると思われました。かえってどのくらいの強さでボールを握れば良いのかさえわからなくなってしまって迷いが出てしまっているようでした。
そこで、
「ボールを力で引っ張り上げるのではなく、けん玉の玉のように下半身でボールを浮き上がらせるようにしてはどうか。
浮き上がらせるモーメントの延長線上で、肩の外旋を受動的にされるようにします。
ちょうどけん玉の玉がボールで、腕が紐のように使えるイメージです。あとは下半身に腕を振らせるという感じ。」
というような提案をしました。
その後はかなりいい感じを得られるようになったそうです。
しかし、これは決して私のアドバイスが良かったわけではありません。
専門外で的外れなところも多々あったであろうところ、たまたま選手にけん玉のたとえがかろうじて伝わったからだと思います。
これはたまたま「けん玉に対するアフォーダンスが一致した」ということなのかも知れません。
私は安易にけん玉に例えてしまいましたが、
けん玉をあまりやった事がない人が感じとるアフォーダンスは、手先で玉を空中に上げて、その下に皿を持ってくるという事になると思います。
それが、けん玉の心得がある人にとっては、腕ではなく下半身を使って「地面反力」(当時は知らなかった便利な言葉)で玉を浮き上がらせる事が自然なアフォーダンスとしてとらえられたということです。
同じけん玉でも、初心者と上級者の受け取るアフォーダンスは違うという事ではないかと思います。
ということは、ゴルフも初心者がゴルフクラブから受け取るアフォーダンスと、上級者になってからゴルフクラブから受け取るアフォーダンスは違うということになります。
このようにして、
ゴルフのアフォーダンスについて考えた事は、日々のレッスンにかなり生かされています。
ゴルフのアフォーダンスについてはまた後日…
2021/02/28
最強のスポーツメンタルコントロールとは(※脱線だらけ)
最近、科学的根拠も大事なんですが、仮説検証のサイクルを回すことがもっと大事かも知れないなぁと思っています。
科学的根拠を示そうとする事に重きを置きすぎると、ときおり研究がつまづいてしまう事があります。
また、科学的根拠を示す時だけではないのですが『一次情報が極めて重要である』という考え方によって思考停止してしまう事もあります。
先日もイップスの一つの側面を説明するのにとても便利な「キーワード」があって、例え話として扱いたいと思い、念のため一次情報をさらうとどうもそのワードを作った提唱者と違うニュアンスで世の中で使われている事を知りました。
そのためその解釈で迷いが出てしまい、そのワードは重くとらえずに比較的軽い話題として考える事にしました。
とはいえ、このような事で研究がスピードダウンする事はあまり意味がないかなと思いました。
(※ちなみにそのキーワードは「アフォーダンス」です)
今回の新型コロナでもとても学びになったのは、科学的根拠の重要なところであるはずの『統計』は、語られるその立場立場によってなんらかの意図を前提にされたものがかなり紛れ込んでくるという事がわかった事です。(「数字は嘘をつかないが、嘘つきは数字を使う」ってどこかの本で見たような…)
このような統計や論文はいわゆるエビデンスとなるわけなのですが、論文の半数以上はその後の研究で覆されるという見方もあるわけで、常に多面的・総合的に考える事がいかに重要であるかを示しています。
そのような時に、違う分野の学問でも同じ現象が語られていたり、昨今の急激な時代の変化の中でも生き残って通用する考え方はある種の科学的根拠と呼べるかは別として、信頼するに足るものがあるのではないかと考えます。
例えば、数年前から流行った「アドラー心理学」における『課題の分離』は、もっと前の時代のギリシャ哲学や東洋哲学にも似たような解釈はあるし、宗教分野でも「ニーバーの祈り」として語り継がれているし、行動心理学、行動経済学として最新ビジネス戦略としての例が出てきたり、脳神経科学としても扁桃体の活動抑制の面で裏付けられています。
救急におけるトリアージなどは、課題の分離こそが圧倒的な結論であることを示しています。
(※脱線気味なのでこの辺でやめます)
とりあえずの結論としては、
この『課題の分離』はスポーツにおけるメンタルコントロールとしても『最強』の考え方であると言えますね。
2021/01/25
距離感の手がかりとは何か パッティング分析③
距離感の手がかりとは何か
パターやアプローチの肝は距離感です。
子供の頃からゴルフをやってきた、生粋のジュニア出身のプロゴルファーにとって、
『パターの距離感はどのようにして出したら良いのでしょうか?』
というアマチュアの質問ほど困るものはないかもしれません。
真面目に答えようとする者ほど答えに困ることでしょう。
当たり障りなく、
『振り子の振り幅』
的な客観的な数値で置き換える事の出来そうなどこかで聞いたことのある答えが返って来ることも多いかもしれません。
しかしながら人間の感覚は、このような物理的な計算に近い感覚で距離感をとらえてはいません。
距離感はいきなり備わるものではなく、試行錯誤の経験と記憶に基づく確かな『手がかり』が必要です。
それは、手触りや重さを感じる感覚が大きな『手がかり』となっていることが考えられます。
ボールの手触りや、重さの感覚も極めて重要な手がかりになります。
例えば、バスケットボールの3ポイントシュートは、極めて精密な方向性と距離感が要求されます。
バスケットボールのシュートは、バレーボールのスパイクのように弾いて射出するのではなく、重いボールを押し出すようにして行われます。
その時ボールの下を長く触ってバックスピンをかけるようにして球持ちが長めに柔らかく射出しています。
このような球持ちの長さや、軽くスピンを入れると言う事が、距離感のニュアンスを構成する手がかりとして重要な役割をしている事が考えられます。
このような短い時間でも、ボールにエネルギーを与える時に物理現象として押し返される力の反作用を感じとることが距離感の重要なヒントとなっているわけです。
ゴルフのアプローチでも、ぶつけて弾くような打ち方だと、距離感をつくりにくいものです。
バスケットボールのシュートにしろ野球ピッチャーにしろボールをスピンを入れながら球離れしていくほうが距離の感覚が出せます。
一般的なショットにおいてのゴルフクラブの使い方としては、ロフト角度が立っていく傾向の中でフェイスに乗せながらボールにコンタクトするというプロセスに当たります。
ゴルフの場合、ゴルフクラブを介してボールにエネルギーを移していくという過程になります。
そこではフェイスがラインに対してオープン・ツー・クローズドに動き、ボールを包み込むように動く事で、ロフトを起こしながらボールにコンタクトする事でわずかですが『球持ちを長く』する事が出来ます。
どころで、このような感覚で距離感を捉える事は、キャリーを出すこと(射出されたものが空中を飛ぶ)が前提になります。
ならば、地面を転がすイメージのある、パッティングの場合はどのようにしたら良いのでしょうか。
ここに実はパターが一番距離感が掴みにくい要因があるのかも知れませんね。
2020/12/25
パターの名手が何故長尺を使うようになるのか パッティング分析②
結論から言うと『共通点』は、
ショートパットからロングパットまでほぼ同じ手法でストロークしているという事です。
(ここでいう手法とは、パターヘッドがボールをヒットする物理的仕組みが一緒ということです)
「これの何が問題なの?」というくらい身も蓋もないように思えますが、、、
ショートパットの精度を究極に高めようとすると行き詰まる例があまりに多い事を逆算して分析した結果です。
長尺系のパターを使用している人は少なからずそういう経験をしています。
長尺パター使用者は元々実はかなりのパッティング巧者が多いということはあまり知られていません、(長尺パターは「パターが苦手な人」という一般的イメージからでしょうか)
ロングパットやミドルパットは問題ないのに、それと比較するとどうしてもショートパットが納得のいく精度が得られないという矛盾を感じるというプロセスを経ているのです。
ショートパットに違和感を感じ始めた時に対応策は2つに分かれます。
一つは、ショートパットの悩みは特有の精神的なプレッシャーによるものなので、なるべく深く考えないように気持ちの切り替えを重視するというケース。
しっかり強めに打って、外れでも考えすぎないようにする。
考えすぎてしまうと、メンタル系に深入りすることになります。
二つ目は、肝心なところで外すショートパットにはどうも何が理由があるはずだと技術的要因の探求に試行錯誤を繰り返すケース。
このケースでは、ショートパット特有の微妙に『ヨレる』転がりをした時にスティンプメーター的なものから射出されたときの転がりとの差を発見してしまうと、自分のストロークによる転がりの質に納得いかなくなり、どうしても何かを変えたくなって長尺パターなどを使うという選択に行き着いたりします。
ショーパットにおいてはパターのライ角をアップライトにすることはポールが『ヨレる』リスクはだいぶ減らせるのは確かので、有効な解決法の一つではあります。(理由は後述することになります)
ただ問題点としては、それまでのキャリアで培われた感覚、絶妙であったミドルパットやロングパットの距離感・タッチはいくらか損なわれることになります。
少しもったいない気もしますね。
ここで一旦、問題なかったミドルパット・ロングパットはどのようなことが大事なのかを確認したいと思います。
それはなんといっても『距離感』だと思います。
次回以降で、これが何故ショートパットに影響を与えるのかを考えていきたいと思います。